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奮闘記

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2007-01-05 いい加減にやるくらいなら、やらない。

_ 他人の目ばかり気にしてるとそういうことになるね

本当にしっかり理解したことは忘れないものだが、僕は中途半端な理解のまま進んできたのか、研究をしていても論文や教科書を見直さなければならないことが多い。開いた教科書に重要なポイント(だとそのときは思っていたこと)が書き込まれていることもあるのだが、それを書いた記憶が全くないときなど、自分の記憶力やいい加減さにがっかりする。全てのことを網羅するのはもちろん不可能で、「どこに何が書いてあるか」「何を調べたら載っているか」を知っておくことが大事なのは間違いないが、そのレベルに達するにも、「ポイントはこれだ」とひとことで言えるまでには理解しておかなければならない。

いい加減にやるなら、やらない方が時間が無駄にならない分よっぽどマシなわけだが、その観点からすると、だいぶ無駄に時間を過ごしてきてしまったものだなあと思う。全てのことは必ず役に立つもので無駄なものなど一切ない、という「見方」が出来ることはもちろん知っているが、例えば空手のオーバーワークで昔怪我をした膝や、バイクで事故をしてから時々痛むようになった右肩など、体を壊してしまったことは正直「無駄」だったなあと思う。無論、経験という観点からではなく、壊す意味が無かったということだ。得たこともあるが、失ったものも多かったのでは、欲張りな僕としては納得がいかない。大学浪人したことなんかの場合は、確かに時間も余分に掛かったし、親に心配掛けてしまったが、おかげで出会えた友人や得ることが出来た経験からすると「昔に戻って勉強し直して、現役で受かることが出来たらなあ」と思わないのだが(もしそうだったらどうなっていたんだろうという興味はある)、怪我とかそういうことは過去に戻って避けることが出来たらなあ、と単純に思う。経験しないで済むなら経験しないほうがいいことは、やっぱりあるのだろう。物質的なことはたいてい元に戻せないものだから、慎重に扱ったほうがいいのかもしれない。もちろん、時間も。いい加減にやるくらいならやらないという指針は守らねばなるまい。


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