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奮闘記

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2006-09-18 その瓶には何が詰まっているのか

_ 博物館に「住みたい」という感覚

外から見つめる機会が増えたからという気もするし、ペリメーターの壁がコンクリ打ちっぱなしだからという気もするが、自分が憧れている、本当にやりたいと思っていたスタイルがどんどん見え始めた。自分探しなんて言葉は若い人間が怠けるためだけのいいわけに過ぎず、自分ってのはいろいろ試して創っていくもんであって、どこにも自分なんか転がっているわけじゃないという言葉にも納得するが、同時に、すでにある程度の年齢まででそれなりに自分は創られていて、それを探すことも大事だという気もする。遺伝子や血にこめられた何かはきっとあるだろうから、何も「自分」は後天的にばかり創られるものでもあるまい。

32にもなってようやく見えてきたということに、何を今更と自分でも思う。しかし一方で、この遅さがいかにも自分らしく、納得もしてしまう。いろんな人によく言われることだが、僕は矛盾しているらしい。僕としては首尾一貫していると思っているのだが、人から言わせると違うようだ。確かに、異常に鈍感な部分とやたら鋭敏に発達した部分とがあるとは思うが、それは誰でもそうだろう。僕はこの年齢になるまで自分の好みすらよくわかっていないという成長の遅い人間であると同時に、小学校3年のときのクラス目標に「人間らしく生きる力を持とう」というテーマを提案した人間でもある。自分でも、これは小学校3年生が言う言葉には思えない早熟ぶりだと思う。まるで現代をすでに見透かしていたかのようなテーマだ。このときはさすがに「何が『人間らしい』のかを考えることまで含めて目標だ」とまでは意図していなかっただろうけれど。しかしまた一方で、いい齢して人見知りだし、肚も据わっていない。さすがに30代で貫禄とまではいかなくてもいいからそれなりの風格くらい出したいのだが、一向にそんな気配はない。

ところで最近見えてきた僕の好みだが、それは今自分がいる業界ではあまり見たことのないスタイルである。ちょっと違和感がある。しかし自分に嘘をつきながら続けられるほど宇宙の根源を覗くことは甘くはないから、僕は僕のスタイルを貫くことにしよう。こっちにいるあと1年半のうちに、基礎的な部分くらいは固められたらいいなと思っている。


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