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奮闘記

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2006-08-25 英語のこと

_ 誤解しないで頂きたい

今日は英語のことについてちょっと書こうかと思っている。ひょっとしたら、こっちに数ヶ月滞在すれば英語が喋れるようになると思っている人は多いのではないだろうか。もしそうだとしたらそれはとんでもない間違いである。僕もそうだし、こっちで出会った日本人の方も皆言うことだが、数ヶ月どころか1年こっちに住んだくらいでは流暢になど喋れるようにならない。もちろん、買い物のような日常生活に必要なレベルの英語は3ヶ月もすれば出来るようになるが、暢気な高校生の留学じゃあるまいし、仕事なり何なりでこっちに来た人で、そんなレベルで満足出来る人などいないだろう。その場合は、はっきり言って、かなり意識的に練習を積まなければいつまで経っても喋れるようにはならない。

僕はこっちに住んで5ヶ月になった。しかし、今の自分の英語力は全然満足のいくものにはなってない。外交官ほど喋れなければいけないわけではないが(もちろん話せるようになるならそれに越したことはないが)、出来るなら英語で喧嘩出来るくらいまでは喋れるようになりたい。別に喧嘩したいわけではなく(まあ、ちょっとしたい気がするのは事実だが)、焦ったり、気が動転しているときでもすらすら喋れるレベルまで持っていきたいのだ。さらに、話す内容のレベルにも問題がある。僕の今の英語力では日本の心意気を伝えることが出来ない。学校で習った程度のことなら少しはなんとかなるが、ちょっと込み入った話になるともうお手上げである。前にも書いた神道のことなどがいい例だ。まあ、神道に関しては日本人の間でもきちんと理解されていないことなので、英語だけの問題ではないのだろうけど。

そんなかっこいいレベルの話は遙か先のことなので置いておくとして、確かに、僕の会話力もちょっとずつは進歩している。友達と話す分にはストレスもあまり感じなくなった(同時通訳の人がやる訓練だという、テレビで聞こえた英語をすぐに真似して喋る練習がちょっとは功を奏しているのか。わからない単語はキリが無いほどあるが、そんなことはおかまいなしだ)。だが、ここがカナダだということを忘れてはいけない。カナダは移民が多いため、英語を母国語とする人達ばかりではない。英語があまり得意でない人が山ほどいるのだ。研究所にも生粋のカナダ人やアメリカ人、イギリス人は少なく、英語圏でないところから来た人が大半を占める。そのため、話すスピードもそんなに速くないし、はやり言葉や俗語のようなものはあまり会話に登場しない。難しい単語もほとんど現れない。しかも研究所の連中の多くが英語に苦労した経験を持っているので、相手の事情を考慮してくれる。そのため、僕のような英語に慣れていない人間でも気楽にやっていけるのだ。これがアメリカになるとだいぶ事情が変わるらしい。僕の共同研究者でアメリカにいる日本人も、1対1ならともかく、大人数で会話されると着いていけないと言っていた。僕もたまにアメリカ人だけのグループに囲まれてしまうと全然会話に着いていけず閉口させられることがある。バーなどで話しているとなおさらだ。周りの音がうるさいので、そもそも聞き取りづらいのだ。日本語ならば少々聞こえなくても補完出来るが、英語だとそうはいかない。仕事に関してもそうで、共同研究者が研究会などに参加していて離れたところにいるとき、skype などで話すこともあるのだが、回線の状態なのか、音質が悪いときは聞き取るのが大変で、僕と一緒に聞いているカナダ人のメンバーに「で、何だって?」と後で聞き直さざるを得ないこともある。

当初は僕も、英語なんていうものはせいぜい3ヶ月もすれば何とかなるものではないかと思っていた。しかし、それは全くの誤りであった。どこまでのレベルで会話をしたいかや、日本にいた頃にどのくらい練習してきたかにも寄るだろうが、僕がしたいと思っているレベルの会話力を身に付けるまでには4、5年は掛かると予想している(予定ではそれより前に帰国してしまうが・・・)。もちろん、これは努力すればするほど短縮出来るだろうし、本人がとても社交的な性格で、人とよく話すタイプならさしたる苦労も感じずにレベルアップしていけるだろう。もちろん年齢も重要だ。若ければ若いほど早く会話できるようになっていくだろう。幼児ならなおさらだ。僕と同様、30過ぎてから仕事でこっちに来た方々は苦労されているようだが、3、4歳の自分の子供があっという間に喋れるようになっていくと言っておられた。ただし、謙遜されていた部分もあるだろうし、向上心が高く自分に厳しい方々だったので、言葉を額面通りに受け取ってはいけないと思うが。

そんなわけで、「語学留学」と銘打ってただ漫然と1年くらい海外生活を送っただけでは、せいぜい友達が増えるくらいであまり得るものはないのではないかと今は思っている。中学生や高校生なんかだと、1年も住めばただそれだけでかなり流暢に話せるようになるそうだが、話せる内容はたかが知れている。しかも文法や単語などをしっかりマスターしていないと、日本に帰ってからすぐに忘れていくそうだ。周りに英語を喋っている人がいなくなれば、しっかり記憶していない人間が喋れなくなっていくのは当然だ。「聞く・話す」という力は「読む・書く」に裏付けされたものなのだ。となると、日本の英語学習法はそんなに間違っているわけではないということになる。このあたりは「会話重視」という最近の英語教育の流れを支持している人に耳の穴かっぽじってしっかり聞いておいて欲しい。

さらに言えば、喋れればいいってもんじゃないということも覚えておいて欲しい。確かに喋れた方がいい。それは間違いない。しかし、何をどう話すか。それこそがもともとの目的だったはずだ。それを教える、いや、考えさせる。そこまで滋味溢れる授業を作り出す。これは理想論だが、是非とも理想だけで終わらせたくないものだ。


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