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奮闘記

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2006-07-23 Surprising Party

_ 妻にはしょっちゅう迷惑掛けてるわけで・・・

1週間ほど前、妻が特に仲良くしているラビートから僕にメールが来た。内容は、7月21日が僕の妻の誕生日なので Surprising Party をやらない?というもの。もちろん大賛成!と即答した。僕は人を笑わせたり楽しませることが大好きだし、人の喜ぶ顔を見ることに特に幸せを感じる。形式上の僕の職業は物理学者だが、本当は自分はエンターテイナーだと(もしくはそうあらねばならないと)思っている。多くの物理学者がそう考えているように、僕も物理は美しくあってほしいと思うが、人を楽しませ、幸せな気持ちに出来るかどうかにこそ、「美しさ」の基準があると僕は信じている。そこに到達するまでには非常に厳しい場所も通過するわけで、その段階では美しいというよりも悲壮感すら漂うこともあるかもしれないが、それは漫才師がステージで爆笑を取るまでに影で何度もネタ合わせをするのと同じことだ。勿論、そういった段階ですら見る人を幸せな気持ちに出来たら「本物」にまで昇華されたことになるのだろうが、残念ながら僕はまだそこには至っていない。まだまだ先は長そうだ。

僕のお笑いに対するそんな熱い思いはさておき、早速ラビートと計画を練り、友達に誘いのメールを出した。皆、快諾してくれた。パーティーの段取りは、僕がまず適当に理由を付けてしばらく妻を外に連れ出し、その間にラビートに皆を僕らの部屋に入れておいてもらって、部屋へと帰ってきた妻を皆で出迎えて驚かせるというもの。よくテレビなどで見るあれだ。何しろカナダに住んでいる連中なので、時間通りに部屋に集まってくれるかどうかちょっと心配だったので、メールには "Be punctual as Japanese people are ! (日本人のように、時間は正確に!)" と書いてみた(実際は僕の杞憂に過ぎず、皆時間通りに集まってくれたのだが)。

土曜の夕方、僕は妻を近所の本屋に連れ出した。僕が突然「本屋に行こう」と言い出すのはよくあることなので、妻はちっとも疑いをもっていなかったようだ。ドキドキしながら時間をつぶし、予定時間の20時になったところで部屋へ。部屋のドアを開けて妻を中に入れ、僕の "Hey, We are home !" との掛け声で、一斉に皆が "SURPIRISE!!" と飛び出した!妻はびっくり。それもそのはず、20人以上も集まってくれていたのだ。妻は感動したようで、目には涙が。皆は "Crying for joy ?" とちょっと心配そうだったが、もちろん嬉し涙である。僕もちょっとウルっときた。

僕らはここに住んでまだ4ヶ月である。昔からの友達なんていない。皆、ウォータールーに来てから出来た友人である。しかし、こうしてたくさん集まってくれたのだ。ただパーティーが好きだとか、こういうことはよくあることだから、というだけではあるまい。彼らの人柄なのだ。乾杯の時に "Shimpei, you have to say something !" と言われたので音頭を取ったのだが、そのとき僕が言った "We are very happy to have such wonderful friends." という言葉は決して社交辞令ではない。そしてこれは妻のおかげでもある。妻はとても社交的な性格で、すぐに友達を作ることが出来る。皆にパーティーに呼ばれたときなどは、妻は料理やデザートを作っていくのだが、夫の自分が言うのもなんだがこれが本当にうまい。おかげで話題にもことかかない。今回のことにしても、妻がラビートととても仲良くなったのが一番のきっかけである。妻は mixi 繋がりでウォータールー在住の日本人の方ともたくさん知り合いになり、夫婦でお家に招かれたことも何回かあるが、多くの男がそうであるように、そうしたことは男1人でカナダに来ていたら出来なかっただろう。ありがたいことだ。

それにしても、僕らはつくづく友達に恵まれている。日本に居た頃もそうだったが、僕らの友達はこうやって「形」で心を示してくれる。僕はそうやって形や言葉に思いを乗せることはとても大事だと思っている。悲しいかな、人間はテレパシーなど使えないから、いくら相手のことを思っていてもそれは往々にして相手に届かない。しかし逆に言えば、形にすることは我々が血肉を持って生きている意味に繋がる大事なことだと言えなくはないだろうか。

昔、僕は形而下に落とすことでもとの情報量がどうしても減衰するような感じがして、形にすることを「堕落するよう」だと捉えていた。形にするということは、本来のもののある一面だけを射影することだと感じていたのだ。しかし、今、形を伴うことでより一層美しさが増した様々なものに触れるようになり、そうではなかったのだと感じている。確実に、具現化前と具現化後は両輪なのだ。それらは切り離せるものではない。優劣もない。だから勿論、僕は「観測されないなら存在しないのと同じだ」などという下らないことは決して思っていない。

話がまたそれてしまった。どうも僕の話はまとまらなくていけない。この「飛び」をそのまま絵に描くことが出来たら、シュールレアリスティックな味のある作品になると思っているのだが。いくらなんでも買い被り過ぎか。おっと、また飛んでしまった。パーティーの話に戻さなくては。

僕は何となく寿司を用意したくて、ウォータールー大学の近くにあるお寿司屋さんに頼んでおいたのだが、これは好評だったようだ。こっちでは寿司に限らず日本食はとてもウケがいい。たいてい、「日本食は大好きだよ!」と言ってくれる。実際、昼にお寿司屋さんに行っている友達もよく見掛ける。自国の料理を気に入ってもらえると、結構嬉しいものだ。そんなわけで皆にも喜んでもらうことが出来、時間はあっという間に過ぎた。そのまま2次会もやろうということになって、近所のバーに繰り出した。ワイワイ騒ぎながら歩いていく皆の背中を見て、僕達はただ嬉しかった。


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